淀屋橋 大阪の大動脈・御堂筋に架かる交通の要衝【大阪市北区】


Illustration by Hiroki Fujimoto

淀屋橋【大阪市北区】

〈江戸時代〉

淀屋橋は江戸時代初期に、豪商・淀屋によって架けられた橋である。大阪にはこのように、市井の人々が架け、管理した町橋(町人が経費を負担した橋)が多い。

淀屋の初代・常安は山城国(京都府南部)の生まれ。大坂の陣の際、材木商として徳川の信を得て、特権商人としての地位を築く。二代目・个庵のころには蔵元として、米をはじめとした諸藩の物産を扱うようになった。
諸藩の米は船で大阪に運ばれ、取引された。そのため米を扱う商人は大きな財を成し、大名に融資して藩の財政を左右するほどの存在感を持つようになる。淀屋もそうした豪商のひとつであり、土佐堀川の南岸、心斎橋筋から西へ2、3町(約200~300m)もの広さの屋敷を構えていたという。店頭では米市が開かれ、その盛況ぶりは井原西鶴の『日本永代蔵』にこう描かれている。
「北浜の米市は、日本第一の津なればこそ、一刻の間に五万貫目のたてり商いも有る事なり」(1貫を3.75Kgとすると、五万貫目は約19t)

中之島には多くの蔵屋敷が立ち並び、淀屋は商売が繁盛して人の出入りも多かっただろう。そのため中之島との行き来をスムーズにするために、自費で架けたのが淀屋橋というわけである。もっとも商人が己の商売のために架けた橋であるから、それほど大きなものではない。橋を渡った先の道も南北に通じていたわけではなく、南は淡路町あたりで道が折れ曲がり、北はすぐ蔵屋敷に行き当たっていた。後述するが、現在の淀屋橋とはずいぶん違う佇まいである。

橋をかける必要があるほど商売が栄え、橋をかける余裕があるほど財をなした淀屋であったが、五代目・三郎右衛門のころ、宝永2年(1705年)に突然取り潰しとなる。豪勢奢侈(ごうせいしゃし)であること町人にあるまじき、というのがその理由だったようだが、具体的なところは諸説あってはっきりしていない。
前述したように、豪商は金融業を介して藩の財政に関与し得る存在であった。その経済力が大きくなりすぎると、藩にとっては驚異になりかねない。そのため、事前に潰してしまおうという考えがあったのかもしれない。

淀屋が取り潰しになっても淀屋橋は残り、その近くで米市が行われるのも変わらなかった。当時、米市場は堂島に建てられていたが、正月4日の初相場だけは淀屋橋の南詰で行われていたようである。

〈明治時代~〉

淀屋橋もまた、明治18年(1885年)の大洪水で流失した。再建する際、橋柱には鉄材が用いられている。
本格的に鉄橋化されたのは、明治後期の市電敷設事業による。明治44年(1911年)に完成し、この時に幅員が大幅に広がった。江戸時代、町橋のひとつであったころは8.8m(3車線よりやや狭いくらい)だったのが、21.9mに拡張されている。
ちなみに淀屋橋を通る路線は、第三期線として市内に計画された十数線のなかの一つ、堺筋線。大江橋南詰を出発した市電は、淀屋橋を通って東に曲がり、北浜を経て南に下り日本橋三丁目まで続いていた。なお難波橋は、この線の延伸工事に伴って、堺筋に架け替えられることになる。

〈現在〉

淀屋橋の現在の姿は、大正10年(1921年)に始まった第一次都市計画事業を受けて造られた。事業の根幹をなしたのは、大阪の大動脈である御堂筋の建設だ。御堂筋に面して中之島に建つ市庁舎の両脇に位置する、堂島川に架かる大江橋、土佐堀川に架かる淀屋橋もまた、その建設には大いに力が入れられた。
両橋の意匠は、懸賞金を設けて公募されることになった。一等に選ばれたのは大谷龍雄の「龍=南欧中世紀風」という作品で、選者の評いわく「全体の形極めて端正剛健、その形状の比例最も洗練を経たり」とのことである。
このデザインをもとに実際の設計図を描いたのは、大阪における橋梁建設を牽引していた大阪市土木部の元良勲と、京都帝国大学で教鞭を執っていた武田五一。彼らは都市景観における橋の役割を重視し、「橋梁美」という言葉を用いた。それは見た目の美しさだけでなく、耐震・耐火といった機能性も重視した、実用性と美の両立を目指すものだったという。

淀屋橋は昭和10年(1935年)に完成。その風格と歴史ある佇まいは、大阪の橋を代表すると言ってもいいだろう。2008年には、国の重要文化財に指定されている。
大阪市役所に隣接し、オフィス街のど真ん中ということもあって、昼夜を問わず人通りが絶えることはない。


Illustration by Hiroki Fujimoto

〈淀屋橋概要〉

地下鉄御堂筋線淀屋橋駅、京阪本線淀屋橋駅すぐ。大阪市役所の最寄駅でもある。
昭和10年(1935年)竣工。

〈参考資料〉

「大阪の橋」 松村博 松籟社 1992年

「大阪の橋ものがたり」 伊藤純/橋爪節也/船越幹央/八木滋 創元社 2010年

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