大坂橋 幻の橋、緑の橋【大阪市中央区・都島区】

大坂橋【大阪市中央区・都島区】

緑である。そして長い。
大坂橋の第一印象はそんな感じだ。語彙があまりに稚拙だが、考えてみてほしい。普通、橋から緑という印象を受けることはない。だから大坂橋を見ると「うっわ、めっちゃ緑」というインパクトが強いのだ。何が緑って、橋の色ではない。橋の上に、まるで公園のように緑が植えられているのである。
長い、というのは、大坂橋がまたいでいるのは川だけではないからだ。寝屋川と、その北側に沿う石切大阪線(府道168号線)をまたいでおり、南側はさらに歩道橋のように伸びて大阪城公園の京橋口まで続いている。橋長は実に215メートル。堂島川・中之島・土佐堀川を縦断する天神橋の210メートルよりまだ長い。
こんな風に大坂橋はいささか特徴的なわけだけれど、もうひとつ押さえておかないといけない特徴がある。
大「坂」橋だ。
大阪と書かれるようになったのは明治に入ってからで、しばらくは坂と阪がごっちゃになっていたものの、明治20年あたりから大阪で統一されるようになったらしい。それなのにあえて大坂橋とするのは、もちろん理由あってのことだ。
大坂橋は、幻の橋なのだ。その歴史にあやかって、緑で長い、大阪城を望む橋は大坂橋と名付けられたわけである。

【大正期】

大坂橋の存在が初めて知られたのは、大正14年(1924年)3月。東横堀川の浚渫作業が行われていた折、末吉橋と九之助橋の間(松屋町のあたり)の河床1.8メートルのところから、擬宝珠が見つかった。高さ約60センチ、外径約35センチ、重さ約15キログラムのこの擬宝珠には、「大坂橋 天正拾三乙酉年 七月吉日」と彫られていた。
それまで、文献に「大坂橋」なる記載は見つけられていなかった。そのためこの橋の所在も規模も一向に分からず、様々な仮説が立てられたらしい。しかしどれも確証はなく、未だに大坂橋がどのような橋だったかはわかっていない。

【昭和期】

この擬宝珠は大坂城天守閣に収められ、市民に一般公開されていた。
しかし第二次世界大戦の混乱で、擬宝珠は行方不明になってしまう。天守閣は昭和17年(1942年)9月から旧日本陸軍に徴収されて通信隊の拠点となり、戦後はアメリカ軍が接収。市民の手に戻ってきたのは昭和23年(1948年)7月になってからで、その約6年の間に擬宝珠はどこかへいってしまった。

ちなみに軍の管理下に置かれたのは、天守閣だけではない。大阪城に隣接して大阪砲兵工廠が建っていて、その敷地はかなり大阪城公園に食い込んでいた。現在でいうと大阪城ホールや太陽の広場あたりである。そこから東側に広がり、森ノ宮駅から大阪城公園駅にかけての一帯に一大兵器工場が築かれていた。その跡地の一部を再開発してつくられたのが大阪ビジネスパークで、建設工事に先立ってまず不発弾の探査が行われたというのが、なんとも言えない。
また、大阪城の本丸にある立派なレンガ造りの建物は、旧第四師団司令部庁舎。がっつり軍の建物である。この建物は戦後、大阪市立博物館として活用されていたが、平成13年(2001年)に大阪歴史博物館が開館するとそちらに機能を移転し、閉館。その後は何に使われるでもなかったが、平成28年(2016年)から再活用の動きが始まっており、飲食・物販スペースとしてリニューアルオープンする予定だ。

話が逸れた。大坂橋である。
現在の大坂橋は、昭和48年(1973年)に建設されたものだ。歩行者・自転車専用の橋で、大阪城公園と毛馬桜之宮公園をつないでいる。公園橋らしい、また橋の上から望む大阪城とも調和するデザインをと配慮されており、橋の上にはいくつもの植樹枡が設けて木々が植えられた。花壇とかのレベルではなく、木である。さすがに並木道みたいとまでは言わないが(そんな大きい木が橋の上にあったらたぶんこわい。地震がきたらわっさわっさ揺れて、しまいには折れそうじゃないか)、欄干を超える高さはあるので遠目からでもよく見える。だから「めっちゃ緑」という感想になるわけである。橋というより、遊歩道の性質が強いかもしれない。

擬宝珠に彫られていた天正13年(1585年)というのは、大阪城が築城されて2年後。大坂橋は、大阪城築城にゆかりある橋だったとも考えられる。その歴史に思いを馳せて、大阪城を望む橋に大坂橋の名前が付けられたのだろう。

〈概要〉

京阪本線・地下鉄谷町線天満橋駅より、東へ10分ほど。京橋と平行して架かっている。
昭和48年(1973年)竣工。

〈参考資料〉

「大阪の橋」 松村博 松籟社 1992年

「大阪を古地図で歩く本」 ロム・インターナショナル編 河出書房新社 2016年

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