葭屋橋(よしやばし)蟹島遊郭につづく、かつては奇観でにぎわった橋【大阪市中央区】

葭屋橋(よしやばし)【大阪市中央区】

よしやばし、と読む。「葭」の読み方として、辞書には「あし」しか書かれていないが、「あし」は「悪し」に通じるからと避けられ、代わりに「良し」につながる「よし」と言うようになった。スルメをアタリメと言うのと同じである。
葭屋橋の「葭屋」は人の名前だが、もともとそういう名なのか、ゲンを担いで「よしや」と名乗るようになったのかは知らない。
人名にちなんで橋の名前が付いているということは、町人が架けた橋だということだ。豪商・淀屋が架けたから淀屋橋、その初代である淀屋常安が架けたから常安橋、岡田心斎が架けたから心斎橋。葭屋橋を架けたのは葭屋庄七という人で、橋の先にある蟹島遊郭を開発した商人の一人だった。蟹島遊郭が開かれたのは、天明4年(1784年)。それに伴って、蟹島に渡るための葭屋橋も架けられている。

〈江戸時代〉

葭屋橋は、大川から東横堀川が流れ出るところに架かっている。東横堀川の、最上流の橋だ。
この川を渡った先は現在と同じく北浜と呼ばれていて、多くの船が行き交い、多数の問屋が立ち並び、大変にぎわっていた。北浜の東の端には「山の鼻」という小山があったが、ここに石垣を築いて新しい土地を造成したのが、葭屋庄七たちである。新しくできた土地は蟹島と呼ばれ、大川に面した眺望がとても良いということで、料亭や旅館が建てられ、発展していった。川辺ということで納涼遊びに来る人も多く、何より商売の町・舟場に近いため、大店の旦那衆にとっては格好の遊び場だったという。
また、京と大阪をむすぶ舟が行き交う八軒屋の近くでもあったため、幕末のころには志士たちも多く蟹島遊郭の料亭に集まったようである。

川の分岐点というのは、水流が複雑だ。それに北浜には多くの舟が出入りするので、橋が航行の妨げになってはいけない。そのため葭屋橋の設計には様々な工夫がなされた。
例えば文化元年(1804年)に架け替えられた際は、船の邪魔にならないよう橋脚を一切なくし、岩国の錦帯橋を模した橋がつくられた。こうした形の橋は大阪の人々にとって大変珍しく、葭屋橋は名所になったという。
天保9年(1838年)の架け替えでは橋杭が一本設けられ、その後の改修では三本の橋脚がつけられた。そのため大工の腕が落ちたのだと噂になったらしい。

〈明治以降〉

明治に入ってからの架け替えでは、斜張橋の原理が採用された。塔から斜めにケーブルを張り、橋桁をつないで支えるという構造の橋もまた、当時は大変珍しく、評判になったらしい。ちなみに斜張橋の姿は、大阪で言えば天保山大橋や大和川橋梁、有名どころでは横浜ベイブリッジをイメージしてもらえばよい。もちろん、町中にある葭屋橋はそんな大規模なものではなかったが。橋の長さは42.7メートル、幅員3.3メートルで、木製の小ぶりな橋である。
人々の注目を集めた葭屋橋だったが、明治18年(1885年)の大洪水で大きな被害を受けた。大川沿いの橋は上流から次々に押し流され、中之島界隈の橋はほぼ全滅だったというから、流失を免れただけ、葭屋橋はラッキーだったかもしれない。
ただ、橋の基礎部分がおおいに傷み、ケーブルを張るための塔も傾いてしまった。そのため架け替えは必須だったのだが、修繕というかたちにするか、取り壊して一から架け直すか、ずいぶんもめたそうである。結局どうなったのかは、あいにく資料に記されていない。

葭屋橋の東側に伸びる通りは石切大阪線(府道168号線)といって、市電敷設事業に伴って拡幅された。北浜界隈に市電が通ったのは第三期線工事でのことで、北浜交差点から天満橋南詰までをつなぐルートが開通したのは明治44年(1911年)10月。その直前、7月に葭屋橋も架け替えられている。
市電事業に伴う架け替えでは、多くの橋が頑丈かつシンプルな単純鋼桁橋になったが、葭屋橋もその例にもれない。
道路の拡幅によって蟹島は道に隔てられた形となり、多くの人々でにぎわった料亭街は次第に寂れていった。ちなみに蟹島は、今でいうと北浜一丁目のあたりになる。

〈現在〉

現在の葭屋橋は、昭和41年(1966年)に架け替えられたものだ。
橋自体は平たいシンプルな橋だが、橋の上からの景観はなかなかで、かつて蟹島が大川の眺望を売りにしていたのも納得という感じである。
石切大阪線も土佐堀通りも、さほど広くないのに車通りが多く、両脇にはビルが建ち並んでいて、ちょっときゅうくつな印象だ。歩道もかなり狭い。でも葭屋橋にさしかかると、北側の視界がぱっと開ける。なみなみと水をたたえた大川、たくさんの木々に彩られた中之島。せせこましい街中から一転して、清々しい景色だ。

〈概要〉

地下鉄堺筋線・京阪本線北浜駅からすぐ。
昭和41年(1966年)竣工。

〈参考資料〉

「大阪の橋」 松村博 松籟社 1992年

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