四ツ橋 散策を楽しむ人々で賑わった、井の字の橋【大阪市中央区】


Illustration by Hiroki Fujimoto

四ツ橋【大阪市中央区】

四つ橋筋、四つ橋交差点、地下鉄四つ橋線、四ツ橋駅。
なぜ駅名だけが「ツ」の表記なのかは知らないが、ともあれ四つ橋は大阪人に馴染みのある地名だ。地名、である。橋はない。大阪は今でも川の多い街ではあるけれど、埋め立てられた川も少なくないので、当然橋も撤去された。その代わり、橋の名前は地名として残っている。橋と付く地名が多すぎて、改めて注目しないと気付かないくらいだ。ちなみに四つ橋線は、11駅中2駅に橋の文字がつく。……多いというにはいささか説得力に欠ける数字になってしまった。長堀鶴見緑地線だと、長堀橋・心斎橋・西大橋と3駅も続くので、かなり橋が多いという印象になるのだけれど。

〈江戸時代〉

四ツ橋(『摂津名所図会』(大阪市立中央図書館所蔵)所収)

さて四つ橋だが、いつごろ架けられた橋なのかは定かでない。ただ、長堀川の開削が完成したとされる元和8年(1622年)からそう年を経ずに、4橋とも架けられたと考えられている。
四つ橋というのは1本の橋の名前ではなく、4本の橋の総称だ。ひとところに4本の橋が架かっているから、四つ橋。愛称というのもなんだかなあ、というくらい安直な呼び名だが、「ひとところに4本の橋が架かっている」という景観はあまり見るものではないので、特徴をよく表したシンプルイズベストな呼び名なのだろう。
西横堀川と長堀川が交差するところに、その4本の橋は架かっていた。上から見れば井の字の形。交差点の横断歩道と同じ形、と言ったほうがわかりやすいだろうか。

南北に流れる西横堀川の北側は上繋橋(かみつなぎばし)、南側は下繋橋(しもつなぎばし)。東西に流れる長堀川の東側は炭屋橋、西側は吉野屋橋という名前が付いていた。どの橋も幅員は3mほどで、長さはだいたい40m。上繋橋だけがやや短く、約34mだったという。
上繋橋にはひとつ逸話があって、この橋を渡った夫婦は別れると言われていた。縁切り橋である。そのため嫁入りの際には、上繋橋を渡らないようにしたらしい。なぜそんな話が出たのかというと、理由は橋の位置関係にある。3本の橋は川が交わるところに接して、つまり交差点で言うところの横断歩道と同じ位置に架かっていたのだけれど、上繋橋だけは川の交わるところから家を数軒挟んで架けられていた。つまり他の3本からすこし離れていたために、縁切りの逸話が出たようである。

水運に支えられて発達した商都大阪において、川岸は活況華やぐ場所である。西横堀川・長堀川もその例に漏れず、沿岸では商売に限らず各種産業が盛んだった。炭屋橋は炭屋町という地名に由来し、一帯はその名の通り炭屋が多かった。一方の吉野屋橋は吉野屋町に由来し、ここでは材木問屋が活況を呈していた。宇和島藩や土佐藩の蔵屋敷が並び、西日本各地の材木が集まる場所だったようである。

商売とは別にしても、四つ橋は人の集まるところであった。橋のたもとは船着場になっていて、人の往来が盛んだったし、橋の上からの眺めは優れた景観であったらしい。町人たちの散策の場として賑わっていたようで、納涼や月見に訪れる人も多かったという。
また、煙管が名物で、煙管屋が軒を連ねていた。「四つ橋」という銘柄の煙管もあったらしい。

〈明治時代~〉

明治14年(1881年)の記録によると、幅員が4本とも約6mになっている。明治に入ってから拡幅されたらしい。
明治39年(1906年)から始まった市電第二期線の工事では、長堀川の北岸を拡幅して東西線が敷かれた。また、南北線を敷くのに伴って長堀川には西長堀橋が架けられ、2本の市電が交わる西長堀橋北詰の交差点は、大阪最大の交差点になった。以来、四つ橋といえばこの交差点を指すようになったという。
昭和初めの第一次都市計画事業によって、四つ橋・西長堀橋は架け替えられた。川をひと跨ぎするアーチ橋の構造が採用されたのは、当時もまだ船の往来が盛んだったことを示している。
しかし水運で賑わった西横堀川は昭和46年(1971年)に埋め立てられ、その2年後には長堀川も同じ道をたどった。かくして4本の橋は姿を消し、四つ橋は地名にのみ名前を残すことになる。

〈現在〉


Illustration by Hiroki Fujimoto

涼しさや四つ橋を四つわたりけり 小西来山(らいざん)
後の月入りて貌よし星の空 上島鬼貫(おにつら)
在りし日の情景を詠んだ歌碑が、かつて四つ橋が架かっていたあたりに建っている。小西来山は江戸時代初期の、大阪・淡路町生まれの俳人。上島鬼貫も同時期の、兵庫県伊丹市生まれの俳人である。
四つ橋交差点は、今も多くの人と車が行き交う場所だ。大阪最大ではないかもしれないし、オフィス街が近いので繁華街のような賑わいはないものの、往来が絶えることはない。もっとも、納涼や月見を楽しむには、いささか騒がしすぎて向かないだろうけれど。

〈四ツ橋概要〉

四つ橋交差点へは、地下鉄四つ橋線四ツ橋駅すぐ。
そこからやや東へ行ったところ、阪神高速の高架下に設けられた緑地に歌碑が建てられている。

〈参考資料〉

「大阪の橋」 松村博 松籟社 1992年

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